預言者ハーマンの足跡(前編)

 “罪深き神”の死から1700年もの間を、信仰する神を持たずに贖罪の罪を背負いながら各地を放浪する人々がいた。彼らは贖罪の民と呼ばれ、再び父たる“罪深き神”がよみがえり、降臨することを願いながら彷徨い続けていた。


 彼らの中にハーマンという名の少年がいた。
 彼は幼い頃から聡明で、贖罪の民に伝わる“古き神の世の詩”と“罪深き神の訓えの句”を、10になる前に全て覚えて暗誦して見せた。その才覚に目をつけた彼の十歳上の叔父が、13歳のハーマンを旅商人の見習いとして、贖罪の民の集まりから連れ出していった。そしてハーマンは旅の中でさまざまな智慧と知識と資産を得て、その後、若くして大きな町に店を構えて一財産を築きあげるに至った。
 ハーマンが28歳になった日の朝、彼は突然、全ての財産を使用人に分け与え、わずかばかりの身のまわりの物だけを持って、山奥にこもった。
 最初、町の人たちはいろいろと噂し、さまざまな風評が広がったが、ハーマンが立ち去って1、2年もすると、みな、姿をあらわさぬ彼に興味を失い、彼の名が話題に上る事も少なくなっていった。5年の年月が過ぎ、もはや死んでしまったものだと思われたか、それとも忘れ去られてしまったか、誰も彼の名を上げることもなくなった頃、ハーマンはひとり、山奥から降りてきた。


 髪と髭はぼうぼうと伸び、服はすでにぼろきれと化し、町の人は誰一人として彼の元に近づこうとしなかった。彼は町の広場に行き、何かを語り始めた。しかしその内容は町の人たちにはちんぷんかんぷんで、最初は興味本位に遠巻きに見ていた住人たちも次第に広場から立ち去り、夕暮れ頃には、広場には興味深げにハーマンを見て問いかける道化師と、広場に住み着いている乞食の老人と、窓から身を乗り出して眺めていた酒場女の3人しか残っていなかった。
 一番星が輝き始めると道化師はそれを追って屋根に上っていき、それと共に聞き手を失ったハーマンはその言葉を語るのを止めた。そして呆然としたように立ち尽くしているハーマンに、酒場女(この女は、ハーマンが姿を消す少し前に、病気で臥せっていたところに商人だったハーマンが喜捨してくれて、そのお金で医者にかかって一命を取り留めたことがある)が声をかけて彼を部屋に連れ込み、体を洗い、髪と髭を切って、食事を与えた。
 さらに銀貨と服を与えてくれた酒場女にハーマンは礼を言って、広場で乞食の老人に銀貨を分け与えたあと、町を出て行った。


 一月の旅の後に、ハーマンは20年ぶりに贖罪の民と出会った。
「私は神の言葉を聞いた」
 そう語るハーマンの言葉に贖罪の民たちは興奮し、彼を荒野の中の高台に連れて行って、その神の言葉を彷徨える民たちに与える事を望んだ。しかし、ハーマンの語った言葉は彼らの望んだものではなかった。
「……今、人々が崇めているやからは神ではなく“堕天使”に過ぎない。己が罪に目を潰されてふらふらと迷い、その罪に押し潰されようとしている、虚しき存在である。心を改め、“真の神”の回帰を祈れ。そうすれば主はその御手による創造物で無き我々をも、救ってくださることであろう……」


 贖罪の民たちは気づいた。ハーマンの言葉は“罪深き神”の復活ではなく、忘れ去られた“沈黙の大神”への回帰の言葉だと。
 そして、彼らは忌まわしき預言者を石をもって追いやった。
 逃げだしたハーマンは沙漠の中に取り残され、石で傷ついた体のまま、彷徨い歩いた。


 その沙漠の中で、ハーマンはさまざまなものたちと出逢った。
 神々の戦いの頃からこの地を見守る龍。
 魔法帝国の残骸。
 魔法王国に駆られ滅びた妖精の最後の生き残り。
 永遠の責め苦を受けている“終末の軍勢”の兵士。
 “魔術師の塔”を捜し求める魔術師の亡霊。


 その中にはハーマンを助けようとするものもいた。
 “太陽神”の騎士と“救済の女神”の癒し手……事情を聞いた彼らは、ハーマンにその信仰を棄てたなら誰もあなたを追いやるものは無くなるだろうと言って、“沈黙の大神”を崇める事を止めるように勧めた。
 しかし、ハーマンは彼らの言葉に肯かなかった。
「たとえどんな苦難にあおうとも、それはわれらを創りし父の原罪によるものであり、大神が私に与えた試練である。ゆえに、私はその苦難から逃げずに立ち向かわなくてはならないのだ」
 騎士はその彼の優しさを無碍にするようなハーマンの言動に腹を立てて、癒し手は戸惑い哀しそうな表情をして、水と食料だけをハーマンに与えて立ち去っていった。


 そして彷徨い始めてから17日の後、ハーマンはさまざまな苦難と歴史の亡霊を退け、沙漠から脱する事ができた。
 乾き死にかけたハーマンを、騎士と癒し手の二人が迎え入れ、しばしの休息場所と水を与えた後に、ハーマンの(そのくじけぬ決意と信念の)元に膝を折った。ハーマンは微笑み、二人に神の言葉を伝え、そしてその背に負った罪*1を許した。
 そしてハーマンは最初の信者を得る事となったのだった。
(続く)

*1:その罪とは、天使によって創造された存在である原罪と、真の神では無い小さき神々を信仰した過ち、そして、砂漠で無条件にハーマンを救わなかった事だと、現在の教会では考えられている