預言者ハーマンの足跡(後編)
その後、ハーマンとその弟子たちは“風の国”を離れ“火の国”に戻る事にした。
火の国では、以前に対面した時にハーマンに対して怒りをあらわにしたジンの王がその国の領土を広げ、勢力を拡大しており、ハーマンたちが訪れた港町もそのジンの王の支配下に置かれていた。
ハーマンは夜闇にまぎれてその港町を脱しようとしたが、衛兵たちに見つかり、ジンの王の前へと引っ立てられた。
ジンの王はハーマンの姿を見るとその玉座から飛び降り、炎を纏わせた曲刀を振り回しながら、宮殿を震わせるような声でハーマンに言った。
「良くこの“火の国”に平然と戻ってくるようなことが出来たものだ」
ハーマンはまるで眼前の炎の刀が見えていないかのように、ただ、ジンの王の顔を眺めながら、このように言った。
「私はあなたの怒りを買ってからの六年間、さまざまな所を旅し、さまざまな人と出会い、さまざまな言葉をもって神の意思を伝えてきた。それは私にとって、とても貴重な年月であった。私を“火の国”から追い出してからの六年間、あなたはこの土地で、どのように過ごしてきたのだろうか」
「わしはこの六年間、お前と話した時に感じた怒りを振り払うために、さまざまな土地を蹂躙し、多くの富と人民と領地を得た……そして今、六年前に逃したねずみをこの手に捉えることができた」
「それであなたは満たされたのか」
「いや……この六年間、毎晩毎晩、お前の言葉が頭をめぐり続けていた。自分の力の強大さを示せばそのような小さな想いからは開放されると思っていたが、どれだけ領土を増やしてもお前の声はますます大きく響くようになって来た。そして、お前を捕らえいつでも首を切り落とし、口をふさぐことができるとなっても、たとえそうしても、その声からは開放されえぬ事に、今、気付いてしまった……わしはどこまでも満ち足りぬ、救われ得ぬ」
ジンの王は炎の曲刀を棄て、泣き崩れるかのようにその巨体を小さくしながら、ハーマンにすがりつくようにして言った。ハーマンは穏やかな口調で答えた。
「ならば、続きを話すとしよう……六年前に遮られた言葉の続きを。あなたが満ち足りぬというなら、それが満ち得るその時まで。人も妖精も、天使によって創造された不完全なものであるがゆえに、(完全なる)大神の言葉を求めている。だから、それをあなたに与えよう」
その夜から、ハーマンはジンの王に神の教えを話し始めた。
ジンの王はハーマンの言葉に喜び、戸惑い、涙を流して、ただただ聞き続けた。
そして、3日後の朝、ジンの王はすがすがしい表情をして臣たちの前に現れた。
「わしはハーマン殿の、大神の言葉によってこの六年間の憂鬱から開放された。これからはハーマン殿を師父として、大神の言葉をこの大地全土に響かせるために戦うこととしよう。そして得た全てをハーマン殿に奉げよう」
臣たちは王の突然の言葉に驚き、(血気あふれる種族であるジンとしては当然のように)その言葉に異議を唱えた。今までの王なら自分に異をはさむ臣下の者など、すぐさま斬り捨てていただろう。しかしハーマンに師事した王は、辛抱強く自分なりの言葉で大神の教えを臣下の者たちに教え聞かせ、そしてついには全ての臣を力ではなく言葉で同意させるに至った。
しかし、その後にリュージヤを従えて現れたハーマンは、その王の申し出を断って、この“火の国”で自由に弟子たちと共に大神の言葉を伝える許可を得られるのならそれで充分だと答えた。
それからハーマンは弟子たちと共に、“火の国”の各地を旅しながら“沈黙の大神”の言葉を人々に教え、伝えていった。以前とは違い、“火の国”でも力ある王の庇護を受けているためか、布教は順調に進み、ハーマンの教団も次第に大きくなっていった。
しかし、ハーマンは教団として動く事よりも、少数の弟子を連れて教え歩いたり、粗末な庵を組んで、そこでリュージヤなどと問答をする事を好んでいた。
それから3年後、“火の国”で奇妙な病気がはやりはじめた。
人々が眠りから覚めなくなり、そして衰弱して死んでいく……そんな原因不明の奇妙な病気である。この病にかかって助かるものは誰もいなかった。
最初は小さな村で発症したが、だんだんと“眠り病”は広がってゆき、ついにはジンの王までもがこの病気にかかってしまった。
ハーマンの教団の者たちは“眠り病”の患者の救済へと力を尽くしたが、それが実を結ぶ事はなかった。そして、ついには直弟子の中にも“眠り病”にかかるものが現れた……リュージヤもその1人であった。
そしてついにジンの王と、リュージヤと、多くの人々が死んでいった。
ハーマンは嘆き悲しみ「この忌まわしき眠りは、この忌まわしき夢は!」と叫び続けた。
それからしばらくして、“眠り病”は治まった。しかし、王を失った国は後継者争いで大きく乱れ、ハーマンたちはその後継者争いの道具とされる事を恐れて、身を隠そうとした。
しかし、混乱は各地に蔓延しており、その争いに巻き込まれて直弟子の一人*1が命を失い、ハーマンも矢傷を受けて床に伏せった。
ハーマンが床に伏せはじめてから半年、その病状は少しも快方へとは向かっていなかった。しかし、ハーマンはその病体をおして、その地にいる直弟子全てを集め、あらためて大神の言葉を伝えた。そして弟子たちに、神の言葉を求めし悩める人々をつれてくるように言って、自分は村の外れにある大樹の前に立った。
弟子たちは馬や駱駝を走らせ、近隣の人々に師の言葉を伝えた。人々はハーマンの教えと大神の救いを求めて、次々とハーマンの住む村に集っていった。
それから12日の間、ハーマンは人々の悩みを聞き、教え諭し続けた。
そして、13日目の早朝、(両脇から弟子に支えられながら立ち続けていた)ハーマンはついに倒れ意識を失い、その夜に命を失った*2。
その後、ハーマンの教団は弟子たちによっていくつにも分かれ、次第にその存在は歴史の表舞台から消えていった。
再びハーマンの教えが歴史上に姿をあらわし、その主役となっていくのにはハーマンの死から166年後、脚斬りの老聖者マアグロウが、少年皇帝ギュロスと出会うその時まで待つ必要があるのだった。