TRPG世代論とは?

最近TRPGの世代論に関する議論を目にする事が増えてます。
この世代論という話は昔からあったもので、今この議論が再燃しているのは、あのTRPGバブル以後の暗黒時代から業界が再建し、円熟しようとしている時期に歴史的再評価と位置づけが行なわれようとしている事だろうと(善意的に見ると*1)僕は思います。


そこで、僕も僕なりの世代論の話をしてみようと思いますが、その本題に入る前に一つ。
世代論という区分は何によるものなのか、そして、何の為の区分なのかという事について考えてみたいと思います*2
何を持って区分とするかはそれぞれのTRPG観にもよると思いますが、その判断基準の他にも、あるTRPGを第何世代に区分するかという議論をする時に、どの点を抜き出して判断すべきかという問題も生じます。


例えばよく第1世代と第2世代は世界観の有る無しで区分されますが、第1世代のパイオニアであるD&Dは後に世界観のサポートがされるようになり、この場合どちらに分類するかが問題になります。
また同様に第4世代はシーン制を持ったゲームとした場合、シーン制に似た運用をした他の世代のゲームはどう扱うかの問題が生じる事になるでしょう。
このようにTRPGには昔からルールや要素の取捨選択が数多く存在し、プレイするメンバーによって遊ばれ方が大きく違う*3ゲームである為、表層にある要素で分類するのはあまり意味が無いのでは……と僕は考えるのです。


それではどういう基準で分類をするのか。
僕はその点を考えるのにシステムが想定するTRPG文化の違いという視点でアプローチをしたいと思います。
先程も言ったとおり、TRPGはマスターやその環境によって大きく遊ばれ方が違ってくるゲームです。しかし、それは逆に言うとTRPGというゲームの多様性*4ではないのでしょうか?
その多様性と今の自分のスタイルの歴史的な意味を知る為に、世代論は有効ではないか、そんな視点から僕は語っていきたいと思います。


まあ、こんなにだらだら書いちゃったので、ちょっと今日は疲れちゃいましたw
そんなたいそうなもんじゃないから気楽に書けばいいのにと自分でも思うんですが、これはもう性ですねw
で、本題に関してはまた後日に。


だけどこれで終わるのは寂しいから、次回予告じゃないけれど、核心だけは話しておきますね(どんなふうに考えているかちょっとでも語っておかないと、僕のポジションがわかりませんから)。

  1. それぞれのキャラクターをもって冒険し、生き残るゲーム(D&D、T&Tなど)
  2. その世界観の中で遊ぶゲーム(RQ、RtoLなど)
  3. 演技支援ルールのもと、物語を作るゲーム(熱血専用、深淵など)
  4. ストーリーラインのもと演出し、個々の物語を描くゲーム(FEARのシーン制ゲーム)

……以上のように、僕は世代の違いはそのゲームの目的としている遊び方(および想定している環境)の違いだと考えています。


それぞれの考察についてはこれから詳しく書いていくのでお楽しみに(ここに書いた事とは違ってしまうかもしれないけど……特に第4世代の説明なんて上手くまとめられなかったので、適当になってしまったしw)。

*1:悪意をもって考えると、まあ(自分を含め)オタクってこういう分類好きだし、旧世代ゲーマーとFEARゲーマーの対立っていうのが未だにあるからその線引きってのもあるだろうし、某デザイナーがいろいろ言ってるからってのもあるだろうしw

*2:こういう事をやっておかないと、僕はこう思う、俺はそう思わないという水掛け論に発展する事も多いですからね。僕なりの世代論に対する線引きなのです

*3:第4世代と呼ばれるFEARのシステムを昔ながらのスタンスで遊んでいる例を僕は知っていますし、第2世代のシステムなのにゲームマスターオリジナルの世界で遊んでいるのを見た事もあります

*4:多様性という言葉をこの文脈では好意的に使っていますが、実際のところ、コミュニケーションゲームにおいてこの多様性というものはマイナスに働く事も多いのではないのでしょうか? しかし、この議論はそのマイナス面への対策にもなるものだと僕は考えています